私がメンターとなったのは、他のメンターさんとちがって実子にではなく、姪に発達障がいがあったからです。姪が小4のとき、妻の弟が亡くなって姪をわが家に引きとることになったのです。
引きとった時点では、姪が発達障がいであるとの認識は家族の誰も持っておらず、単に衝動的、単に大げさ、単によく噓をつく子だと思っていました。「なにかがおかしい?」と思った理由は、なぜか高いイスの上に乗っている。テレビがついていると動きがとまる、道を歩いていて人に合わせない、とつぜん走り出す、などの突発的な行動の多さ。これは「特性」なのではないかと思ったのです。
私たち夫婦は足立区の教育相談(今のこども家庭支援センターげんき)に通い、「ADHDと思われる」と言われました。通級をすすめられましたが、親が別の学校まで連れていかなくてはならない仕組みは無理でした。
そのときの先生には「将来の年金のために医療機関の履歴を作っておいたほうが良い」とのアドバイスをいただきました。それが後に大変なことになるのですが…。
小、中は普通学級で過ごしました。点数は取れなかったけど、内申は悪くありませんでした。評価もその時々で違いましたが騙し騙しなんとかやれていたと思いました。「どうにもならない」と思ったのは、高1の夏休み前、担任とSCに「知能検査を受けたほうが良いかも」とのアドバイスをちょうだいしたときです。
つづく・・・