二次障害から脱却して息子との楽しい日々を取り戻しました①

息子は幼少期は運動神経がよくて「少しやんちゃな男の子」としか思っていませんでした。きっとこのときからすでに彼の特性が現れていたのかもしれませんが、3歳以降はずっと反抗期だと思っていて、当時はそんなに気にしていませんでした。

小学校3年ごろより登校しぶりが本格化して不登校ぎみになり、それと共に暴言暴力が悪化。このころ頻繁に言う言葉は「死にたい」「どうやったら死ねるの?」でした。さらに、キレるたびに昼夜関係なく一日何回も家出したり、自転車で猛スピードで出ていき、横断歩道のない大きな道路を突っ切ったり、よく生きてたなと思うほど危険をおかすことが増え、「反抗期」という言葉では説明できないほど荒れてしまいました。

ここまできて「私だけではとてもじゃないけど手に負えない」となり、やっとこの時期に病院に受診し、診断とともに二次障害を発症していることを知りました。

そのときの診断名はADHD、反抗挑戦性障害、軽度知的障害(IQ70→学年でいうと2学年下くらいのレベルらしい)。本来知的ボーダーではあるものの、日常生活に支障があるのでそのような診断名となり、ました。危険行動もあることから2週間の医療保護入院にもなりました。現在は使用していませんが当時はADHD薬、向精神薬など内服もしました(インチュニブ、コンサータ、ストラテラ、リスパダール)<つづく>。