メンター紹介
登録Pメンターを紹介します。
(ニックネームは花の名前で統一しています)
登録Pメンターを紹介します。
(ニックネームは花の名前で統一しています)
現状、唯一の男性メンターです。また、発達障がいを持つ子は実子ではありません。実子よりも5歳年上の姪は当時小4でしたが、引き取ってすぐに「何か変?」と思い教育相談を受け、「おそらくADHD」と診断は出ました。が、その後他の医療機関で診断が覆ったり、子育てを否定されたりと、大変でした。高1で療育手帳を取得し、成人して障害年金を取得しますが、その間も、その後もいろいろありました。中途で養育者が交替している場合の発達障がいは養育者に求められることが多岐にわたるため、私自身も子どもの発達や心理に関わる勉強をし直すために40歳を過ぎてから大学に入り直したりもしました。今、姪は30歳近くになり、家のほど近くで半自立?っぽい生活をしています。私は性別的にも母親としての経験はないですが、みなさんと共通する部分はあると思います。自身の経験から登校しぶりやひとり親のぴあサロンにも顔を出させてもらってます。どうぞよろしくお願いします。
看護師でシングルマザーです。3歳以降、反抗期だと思っていたひとり息子は 小3から「死にたい」と毎日言い続け 登校しぶり、不登校、暴言暴力、脱走を繰り返す二次障害が発症。 ADHD・発達障害と診断されました。
そんな息子も現在中学校1年生、普通級で週に1回、コミュニケーション教室を利用しています。破天荒な小学生時代でしたが支援や連携、関わり方を見直し、絶望したあの日から想像もできないくらい親子で楽しく過ごしています。自身の経験を伝えることで自己犠牲するママを減らし、「自分を大事にしながら子育てできるママを増やす」ことを目標としています。そのために『親の心が救われる支援』が必要だと思うので、誰もが生きやすい世界へなるよう、まずは自分の半径1メートルの方たちの希望になれたらと思って活動中✨
知的障害の息子の母親です。現在は成人し、障害者枠で就労しています。一人っ子で、母としてどのように育てていっていいのやら? 悩み多き日々を現在もなお過ごしています。
今でも小学校のときの教頭先生がおっしゃった言葉が心に残っていて「身だしなみはきちんと」そして「かわいいがられるように」…なかなか簡単なようで難しい課題とまだまだ向き合っています。子育ては大変ですが、頑張っている! 皆さまのお話しを伺えたらなぁと思っています。
四男一女、五人の子供の母です。長男は中学生時代に不登校になりましたが、今は働いて一人暮らしをしています。次男は自閉スペクトラム症の障がいがあり、支援学校を卒業後、施設で働いています。その他の子もいろいろ大変な時期がありました。
親の立場や大人の力をふりかざしてケンカ腰になってしまったこともあれば、自分の親や友達にも近いからこそ話せない、話しづらいこともありました。そんな時に区の機関で話を聞いてもらうだけで気持ちが軽くなったりしました。
自分が経験したことを話したり、悩んでいる方のお話を共感とともに聞いたりすることで誰かの心を軽くできたらと思っています。一人で悩みを抱えるより誰かに話したらちょと楽になると思います。
男の子2人の母です。長男が自閉スペクトラム症で知的障害もあります。5歳の頃から「他の子と違うなー」と思ったですが、小学校の就学相談の結果が「通常」判定だったので漠然と大丈夫だと思いました。しかし入学後、ついていけないのと本人がキツそうだったので4年生で支援学級に移ることになりました。今は中学校1年生で支援学級に通っています。
思春期の長男がどうしたら少しでも快適に過ごせるか、これから自立に向けて親は何をするべきか毎日悩んでいます。微力ですが、ねっとワーキングに来てくださる方々と話しながら一緒に考えていけたらと思います。
2003年生まれの長男はダウン症があります。翌年、次男を出産。 長男はあけぼのでの療育のほか小中は特別支援学級に在籍。中学時代に様々な要因が重なりそれまでできていたことが不可能になる一種の適応障害になりました。特別支援学校高等部での3年間はリカバリーに費やされました。卒業後、現在は自立支援施設に通っています。
次男は定型発達ですが、小一の時「ボクはうちにいなくていいんだ!」という衝撃の発言をし、あわてて母子関係の再構築に「げんき」でカウンセリング(次男はプレイセラピー)を2年間ほど受けました。 そんな知的障がいのある子どもの育児やきょうだい児とのかかわり体験がお役に立てたらと思います。
知的障がいをもつ中学生娘と定形発達の小学生息子を育てています。 早産により未熟児で生まれた娘は生まれてすぐからフォローを受け、幼稚園の未就園クラス、あけぼの学園を経て特別支援学校に通っています。 弟はとても恵まれた環境の区立小学校普通級で学び、きょうだい会にも参加しています。
私の子育てにはいつもたくさんの人たちが関わってくれていました。 できることはやりたい主義だけれど、マンパワーにも限界があります。 1人で頑張らなくていいのです。 心のモヤモヤ、子育てのモヤモヤ、話してみませんか??
男の子3人、女の子1人の4人兄妹がいます。 次男LD学習障害で知的にもグレーゾーンです。目で追って字を読むことが苦手です。耳から聞いて何とかしていて、気がついたときには本人は勉強が苦手→嫌いとなり不登校に。 中学時代が一番難しい時期でした。 高校は通信制高校を選び本人のペースで卒業し、現在は好きな分野の専門学校に通っています。
兄弟、とくに一番上の子が、言葉や意味を噛み砕いて説明してくれ、次男はそれで助けてもらったようです。 下の子もグレーゾーンで、親子でいろいろと試行錯誤しています。 また、同じ経験を持つ方と話したりして参考にさせてもらってます。
皆さんも話してみることでヒントが得られたり、「一人ではないんだなぁ」と思えたりして、笑顔が増えるといいなと思います。
3人兄弟の末っ子、22歳の長男が軽度ASDです。現在は特例子会社に勤務しています。 待遇も良く元気に働いています。 当時、言葉の遅れ、奇妙な行動、偏食があり3歳で「あしすと」へ通所。小中は通常級(小学校は週1度の通級あり)、高校は手帳を取得し水元小合学園を選択しました。 障害があるとわかってから受け入れるまでは時間がかかり、毎日、他の子と比べては泣いてばかり。 しかし、療育関係者の皆さん、同じ悩みを抱えるママ友に出会えたこと、そして何よりわが子が1つずつ何かができるようになる姿に励まされ、また頑張ろう!と思えるようになって…。悩みは尽きませんでしたが、泣くことが減り、周囲の支えもあっていつの間にか受け入れができてきて笑顔に変えていただきました! 支え合える仲間や相談先が必要です。 1人で抱え込まず気軽に相談に来てくださいね!
今も三人の子どもの子育てに毎日奮闘しています。
22歳の長女は、ADHDで障害者枠で一般企業に勤務。
19歳の次女は、中度の自閉症で特例子会社に勤務。
17歳の長男は、4月から一般企業に就職。
長女は中学まで普通級に通いながら通級、高校は特別支援学校。
次女はあけぼの学園に通い、中学までは支援学級、高校は支援学校。
長男は中学まで普通級、高校は単位制の私立学校。
三人三様、それぞれの個性に合った居場所を考え悩みましたが、いろいろな方に相談しながら決めてきました。
苦しい時期もありましたが、私が私らしくいられたこと、子どもたちもそれぞれの個性を保てたこと、私たちを取り巻く環境に本当に感謝しています。
日々、笑い泣き過ごしてきた月日が子どもたちのステキな未来に続きますようにと思っています。
18歳女子、13歳男子の2人の子を持つ母親です。 2人ともADHD傾向がありますが、それぞれ違います。小さいときはいろいろありましたが(今も!?笑)、少しずつ成長しています。悩んでいるときはトンネルの中ですが、誰かに話すことでまた頑張ろうと思えてきます。 話して一緒に心を軽くしませんか?^_^
3人の子育て中です。長女は大学生。 2人目の長男は20歳、自閉症スペクトラム(知的障害重め)で就労継続B型で就労しています。 次男は、同じく自閉症スペクトラム(知的障害中度)で中学校の特別支援学級に通っています。 長男の障害を受け入れるのがとても大変でした。気持ちが落ち込むし、日々の子どもの育てにくさに、心も身体もボロボロでした。 次男の障害に気づいたときは、なぜまた自分なの?と、辛かったです。 でも、先輩パパ、ママ、療育先の先生、幼稚園、保育園の先生などたくさんの人達に支えられ、なんとかここまで育ててこれました。 辛かったとき、話を聞いてもらうだけでもホッとしました。 私も、少しでもそんな存在になれたらなぁ、と思っています。
もうすぐ21歳になる大学生の長男と16歳の次男の母で、50代の私です。 長男は3歳からあけぼの学園に通い、5歳のころアスペルガー症候群の診断を受けました。 言葉が出ず、他の子と比べて、どこかが違う、どうしてこんなに手がかかるのだろう? と思いながら過ごしました。言葉が出始め、これで普通になれる!と思いながら、やっぱり違う!の連続。そんな私の葛藤や子育てに対する価値観を徐々に変えてくれたのが、療育機関の先生方やママ友。温かい環境に恵まれ、長男は小学校は通常学級、その後、中高一貫校に進み、今は自分の好きな生物学を学んでいます。幼いころから本当にたくさんの破天荒な出来事、しんどい日々がありましたが、周りのサポートのおかげで不思議ワールドいっぱいの長男は穏やかに(今のところ)過ごしています。 今も未熟な私ですが、皆さんといろいろお話できればと思っています。
成人している息子がいます。言葉が遅く、区の育児相談から幼児指導に通いました。発達障害と診断あり。保育園、小中学校は通常学級と通級。通信制高校から大学卒業。現在は就職しています。何とかここまでやってきました。私の経験をいろいろお話しすることでお役に立てたら嬉しいです。
成人している娘は知的障害があり、障害者枠でパート社員として就労していましたが、丸3年経ったところで契約を更新していただけず、現在求職中です。
小学校入学時、教育相談を受け通常級で入学しましたが、4年生半ばに本人が「つらい」と言い出したため、通級学級・支援学級・通常学級とを行き来し、5年生から支援学級に移りました。
中学校入学時に知的障害の判定を受け、支援学級を選択しました。
娘は、水族館か観賞魚店に勤めたいという夢があり、高校はサポート校に進学し、その後専門学校に2年間通い卒業しましたが、その業種での障害者枠はなく夢は叶いませんでした。
しかし、同級生の人達に助けてもらいながら大好きな分野を学ぶことができ、良い経験となったようです。母娘ともに、周りの方達に支えられながら生きてきましたので、微力ですが、何かできることがあればと思っています。
大学生21歳の発達障害の長男とこの春より社会人になる18歳の次男の母親です。
長男は1歳あたりから多動とコミュニケーション障害があり、区の発達相談を受けながら4歳からあけぼの学園に通いました。小学校は支援級へ進みましたが、知的に問題がなく行動も落ち着いてきていたので2年生から普通級へ進みました。中学校もそのまま普通級で進学しましたが、いじめがありました。泣いているより、得意な勉強でいじめてるやつらを見返そう!と塾へ通い、高専へ入学することができました。今は愛知の大学で人工知能の研究をしているようです。
幼少期は辛くて苦しい時ばかりでしたが、今は無精髭の彼がかわいいなあ〜と思える自分です!
平成3年生まれ、軽度知的障がいを持つ息子の母親です。父親の転勤により中学2年生のときに東京の中学校(支援学級)へ転校、高校は特別支援学校へ、卒業後は障がい者枠で一般就労しています。大阪、茨城、東京とさまざまな形で支援され、たくさんの人に関わっていただきました。悩み、話を聞いてくださる方がいてくれたことは、とても心強かったです。私にできる範囲で、今度はお役に立てたらうれしいです。
成人している息子は幼いときに高機能自閉症と診断されました。
幼稚園そして小学校から中学校まで通級を併用しながら普通学級で学んできましたが、本人の特性上、いじめなど辛い思いもしながらの学校生活を経て、高校選択は“本人が安心して過ごせる場所”ということを重視し、通信制高校へと進みました。その後、専門学校を経て、現在、障害者枠で働く息子が今、不安なく楽しく働いている姿を見ると、心身ともに健康であることが何よりも大事だと痛感しています。
グレーゾーンの子の進路は多岐にわたるがゆえ、悩むことも多いと思います。同じように苦労されている皆様の気持ちに少しでも寄り添うことができたらと思います。
中学生の娘がいます。発達はゆっくりでいろいろな検査や療育をしてきました。 小学校は通常級にいましたが、みんなについていくのにとても苦労していました。 小学2年生のときに、弱視であったことがわかり、とても驚きました。 現在、盲学校に通っています。 拡大教科書や、教材、大きな机など学びやすい環境下で、毎日笑顔で楽しそうに登校しています(^^) 大きな決断でしたが、とても良かったと思っています。 少しでもお役に立てればうれしいです!
22歳の障害枠一般就労で働く娘と、12歳の特別支援学校に通う息子の母です。大変な子育てですが、自分の人生も楽しみながら暮らしています。今、悩んでいる方のお役に少しでも立てればと思い、メンターになりました。相談でお会いできるのを楽しみにしています♪
40歳を直前に双子の男子を出産し、一人が6歳の時に自閉症スペクトラム障害の診断を受けました。双子の子育てを模索しながら、障がいのある息子をどう育てたらよいのか…と、出口の見えないトンネルに入ってしまったような気持ちになった時期もありました。現在息子達は15歳、反抗期ツインズVS更年期の私で毎日バトル⁈ですが、それなりに楽しみながら、まだまだ子育てに悪戦苦闘しています。 小・中・高の学校選択、学校の先生や家族との関係…私自身、悩むたびに先輩のお母様方に相談し、話を聞いてもらってここまできました。私も、ねっとワーキングにきてくださる皆さんのお話を聞かせていただき、気持ちを分かち合い、一緒に考えていけたらと思っています。
成人した息子が10歳のときにADHDと知的ボーダーと診断され、まだ特別支援の制度もなく、学校も発達障害に理解はなく、子育てにとても苦労しました。そのおかげか、か弱かった母は、学生時代の友達の中で一番の肝っ玉母さんと言われるようになりました。当時なかなか同じ悩みをもつママがみつからず、共感できるママとの出会いにとても救われました。まだまだ、悩みはつきませんが、サーフィンのように乗り越えていけたらと思っています。
成人した2人の息子を持つ母親です。長男が発達障がいです。発達障がいの特性は持ちつつも、知的障害はないので、区立保育園から公立の小・中・高(普通学級)、そして私立大学へと進みましたが、理不尽な思いや誤解されることも多いため、生きづらさを感じております。
成長と共に悩み事も変わります。一人で抱え込み、行き詰ったとき、身近に相談や話ができる友人の存在が私の気持ちを楽にしてくれました。私の経験から、すぐに解決や答えが見つからなくても、お話をすることで、少しでも心が楽になれるかも? 同じ保護者目線で傾聴するメンターとして、そんな存在になれたら幸いです。
大学生の娘と高校生の息子がいます。どちらも広汎性発達障害の診断がついていますが、知的には問題のない娘の方が、知的障害のある息子よりも育てるのが大変でした。 社会での生きにくさはそれぞれが感じていると思うので、親亡き後に困らないようにするためにどんな経験をさせたらいいのだろうと親子で手探りの毎日です。 カミツレの花言葉は「苦難の中の力」。私の好きな小説に出てくるキーアイテムです。
成人している息子が2人いて、1人は知的障害のない発達障がい、1人は重度知的障害の自閉症です。なので2人の子育てを通じて、幼稚園も2園および保育園、通常級と特別支援学校、交流として支援級、私立中・高校、大学と、いろいろな学校現場に関わることができました。
大変さも喜びも倍増の子育てを経験でき、今となってはとてもよい経験だっと思います。とくに小学校に上がるころまでが大変でした。私の経験が今とても大変な皆さんの少しでもお役に立てれば幸いです。
福岡県出身。2歳のとき夫の転勤で東京に引っ越してきました。成人している息子は、2歳の時に「自閉傾向あり、高機能自閉症」と診断されました。多動・自傷・こだわり・・・。最初の言葉は「お母さん」より「1(いち)」。数字が大好きでマイペースだった息子はあけぼの学園から小学校は通常級(情緒障がい学級に通級)に在籍、その後、私立中高一貫校から大学、大学院まで学び続けました。子どもの頃は「知的に問題がない、いや、しかし!!」の連続で、辛いことも多々ありましたが、大人になった今は充実した毎日を過ごしています(母としての心配はまだあります)。
息子は数学、私はバレーボールを教えられます(^^)/。
知的障がいと難聴障がいを併せ持つ平成9年生まれの娘を持つ親です。言葉の遅れから支援機関に繋がり療育を受けながら幼稚園、小学低学年は普通級、支援学級、ろう学校、支援学校と進み、現在は特例子会社で働いています。たくさんの人と出会い、支えられてきました。子育て中はとにかく突っ走っていました。「これが正解!」はわからないけど、今があることがありがたいです。
少し休憩して、ご一緒にお茶しませんか?
成人している娘は、小学校の教育相談などではボーダー判定で、中学校への進路は特に悩みました。通常級と特別支援学級をいくつも見学し、好きな音楽の授業が充実していた特別支援学級を選びました。そこで自信をつけた3年後は私立の通信制高校に進学しましたが、夏休みを迎えるころまでには難しくなり、1年生の冬に特別支援学校に転校。紆余曲折ありつつも現在は一般企業の障害者枠で働いています。
仕事を持ちながらの子育てはしんどい時もありましたが、良いこともたくさん。その時々で相談できる人がいてくれたことが、大きな支えになりました。